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堺環濠都市遺跡

明徳の乱(1391年)で堺を根拠地としていた山名討伐に功績があった大内義弘が、瀬戸内諸国・和泉・紀伊国を得て守護となり、堺もおおいに繁栄した。この頃から、堺には濠が掘られはじめ、環濠都市に変貌したとみられる。都市遺跡最下層の焼土は、大内義弘が将軍足利義満に反抗し、堺で戦死した応永の乱(1399年)で焼けた民家一万戸の跡とされる。その後は細川氏の守護地となって再び繁栄を取り戻し、国際的な貿易都市として栄え、15世紀末ごろからは会合衆のもとで自由都市と呼ばれるにふさわしい自治体制を確立した。1543年の鉄砲伝来以降は鉄砲産地としても栄え、信長入京後はその直轄領となる。
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現存するトイレ遺構は文明18年(1486年)の大火後の町屋成立以降のもので、16世紀前半の早い段階でトイレが付帯したという指摘がなされている。ここでは木組の桝形汲取式トイレから甕形汲取式(かめがたくみとりしき)トイレへ、甕も瓦質から土師(はじ)質へという変遷を追うことができる。また、それまで戸別に設置されても便槽は単独で、大便と小便の処理は未分離であったものが、16世紀第4四半期にはいると、複数の便槽(土師質の甕)が用意され、大便と小便を別々に処理するトイレが出現することも判明している。

吉川元春館跡(安土桃山時代、1550年以降?1600年)は、吉川元春の居城日野山城(広島県北広島町(旧・豊平町))西南の麓に所在し、志路原川のつくる河岸段丘上の緩斜面に築造されており、川が堀の役割を果たしている。

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2009年09月03日 09:47に投稿されたエントリーのページです。

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