2009年07月01日

1949年10月1日には中華人民共和国の建国

1949年10月1日には中華人民共和国の建国を北京で宣言した。中華人民共和国の建国によって政権政党となった「中国共産党」だが、安定的に発展することはできなかった。
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当初、ソ連をモデルとして社会主義建設が始まったものの、1956年のニキータ・フルシチョフによるスターリン批判以降はソ連共産党との関係が悪化、1960年からは公開論争にまで発展し(中ソ論争)、武力衝突までに至った。

中ソ論争の頃から「中国共産党」は独自路線を歩み始めるが、党内部では反右派闘争、大躍進政策などの路線闘争、権力闘争は絶えず、毛沢東が自らの実権を回復するために1966年に発動した文化大革命でその混乱は極に達した。毛沢東批判さえしなければ、共産党ですら批判してもよいということになり、これまで政治的な発言が制限されてきた民衆の欝憤が一気に爆発した。全国各地に張り巡らされていた既存の党委員会は解体され、代わって革命委員会が設立されるようになる。国家主席として大躍進の失敗後、経済の調整に取り組んできた劉少奇がこの混乱期に紅衛兵に捕えられ、獄死。鄧小平も失脚し、地方で労役に従事させられた(1973年に復帰)。また、1971年、毛沢東後継者と憲法にまで規定された林彪らは毛沢東暗殺を画策するも失敗し、飛行機でソ連へ逃亡途中、モンゴルで墜落死した(林彪事件)。

内部問題とソ連との敵対関係(ダマンスキー島事件を参照)で危機感を強めた政権は1972年にはアメリカ国大統領にリチャード・ニクソンの訪中を受け入れと、日本との国交回復を実現するなどの外交政策の大転換を行った。1976年に毛沢東が死去すると、文化大革命推進派は力を失い、毛沢東の妻・江青など文革派の四人組は逮捕され、華国鋒体制が成立し、1977年には文革の終結が宣言された。

2009年06月13日

行列力学(ぎょうれつりきがく、matrixmechanics)は

行列力学(ぎょうれつりきがく、matrixmechanics)は、量子力学における理論形式の一つである。マトリックス力学とも呼ばれる。 1925年にハイゼンベルグによって提唱され、ボルン、ヨルダンらともに展開された。

ボーア・ゾンマーフェルトの量子条件やアインシュタインの光量子論に代表される前期量子論は、原子構造やその発光スペクトルの解明といった一定の成果をあげるものの、量子力学的な世界を体系的に記述する枠組みを与えるものではなかった。1925年、当時23歳だったゲッティンゲン大学の講師ハイゼンベルグは、古典的な物理描像を捨て、新しい量子力学の理論の定式化を行った。行列力学では運動量や位置などの物理量を行列を用いて表現し、ハイゼンベルクの運動方程式と言う方程式で、自然を記述する。
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行列力学が明らかにした物理量の非可換性は、量子力学における不確定性関係の構造を浮き彫りにした。古典力学では運動量や位置はある時点においては確定した(決定論的)値を持つが、量子力学では物理量の非可換性により、例えば運動量と位置とは同時に確定値を取れない。

量子力学の他の表現法としては、シュレディンガー方程式で記述される波動力学、ファインマンの経路積分法などが存在する。行列力学と波動力学は対立していたが、後にこの2つの理論は等価であることが波動力学を構築したシュレディンガーによって証明され、共に量子力学の基礎的理論となった。

2009年06月08日

トランスパーソナル心理学

トランスパーソナル心理学とは、1960年代に展開しはじめた心理学の新しい潮流で、行動主義心理学、精神分析、人間性心理学に続く第四の心理学。人間性心理学における自己超越の概念をさらに発展させたとされる。人間の究極的な目的とは、自己を越えた何ものかに統合されると考え、そのための精神統合の手法を開発した。

Lajoie and Shapiro (1992) は、40の1969年から1991年までの記事になったトランスパーソナル心理学の定義をレビューし、各定義に共通の5つの特徴を抽出した。それは(1)意識的な状態、(2)至高または究極の潜在性、(3)自我または個人的な自己を超える点、(4)超越性(トランセンダント)、(5)スピリチュアルであること、だとした。

Walsh and Vaughan (1993)は、存在論的または方法論的に、暗黙的合意を前提としてしまっている点について、多くのトランスパーソナル心理学の定義を批判した。 また、彼らはトランスパーソナル心理学を、意識の健康な状態や、永遠の哲学にだけ結びつけようとする定義の問題点を指摘した。これらの研究者はトランスパーソナルな体験や現象に気を配るだけでなく、「これらの現象は、トランスパーソナルな経験の原因、効果や相関物、修行やそれらの影響で創り出されたものも含む。」と記している。
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ウィリアム・ジェームズ、ジークムント・フロイト、オットー・ランク、カール・グスタフ・ユング、アブラハム・マズロー、ロベルト・アサジオリは、この領域の時代を形作る主要な人たちである。(Cowley & Derezotes, 1994; Miller, 1998; Davis, 2003). Vich (1988)の研究によると、最初の「トランスパーソナル」という言葉は、ウィリアム・ジェームズが1905-6年ハーバード大学の授業の準備のために用意したノートに見られる。この新しい学問領域を確立する有力な動機になったものは、アブラハム・マズローの至高体験に関するすでに出版されていた発表であった。マズローの研究は、1960年代の人間性回復運動から育ってきたものであり、「トランスパーソナル」という言葉が、人間性回復運動の中で、次第に、区別されるものとして認識されるようになっていった。

2009年04月24日

縄文海進

縄文海進(じょうもんかいしん)とは、縄文時代に日本で発生した海水面の上昇のことである。海面が今より3?5メートル高かったと言われ、縄文時代前期の約6,000年前にピークを迎えたとされている。日本列島の海に面した平野部は深くまで海が入り込んでおり、気候は現在より温暖・湿潤で年平均で1?2℃気温が高かった。

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縄文海進は、貝塚の存在から提唱されたものである。海岸線付近に多数あるはずの貝塚が、内陸部でのみ発見されたことから海進説が唱えられた。当初は、日本で活発に起きている火山噴火や地震による沈降説も唱えられたが、その後、海水面の上昇が世界的に発生していたことが確認され裏付けられた。


縄文海進の原因
この時期は最終氷期終了の後に起きた世界的に温暖化の時期に相当する(完新世の気候最温暖期)。また、北半球の氷床が完新世では最も多く融けていたため、世界的に海水準が高くなった時期に当たる。この温暖化の原因は地球軌道要素の変化による日射量の増大とされている。近年の地球温暖化の議論では、過去の温暖化の例としてしばしば取り上げられている。

2009年04月07日

ザ・スパイダース

ザ・スパイダース(The Spiders)は、日本のグループ・サウンズのバンド。
1961年に、田邊昭知(現・田辺エージェンシー社長)が結成し、ジャッキー吉川とブルーコメッツとともにGSの礎を築いたグループ。ヒット曲には「夕陽が泣いている」、「なんとなくなんとなく」、「あの時君は若かった」などがあり、1971年に解散。メンバーであった、堺正章、井上順、かまやつひろし、井上堯之、大野克夫は、現在も各界の第一線で活躍している。

メンバー [編集]
田邊昭知(リーダー、ドラムス、「昭ちゃん」)
加藤充(ベース、「カッペちゃん」)
かまやつひろし(サイドギター、ヴォーカル、「ムッシュ」)
大野克夫(スティールギター、オルガン、「克夫ちゃん」)
井上孝之(リードギター、ヴォーカル、「イノヤン」、現在の表記は井上堯之)
堺正章(リードヴォーカル、リードタンバリン、フルート、「マチャアキ」)
井上順(リードヴォーカル、サイドタンバリン、パーカッション、「順」または「順ちゃん」)
前田富雄(ドラムス、「トミー」)
田邊昭知が自身の経営するスパイダクションでのマネージメント業務に専念するため、バンドボーイであった前田富雄が1970年6月に二代目ドラマーとなった。

来歴 [編集]
1961年に、スウィング・ウエストのドラマーであった田邊昭知によって結成された。バンドの名付け親は、かまやつひろしの父で、当時の日本ジャズ界では有名なシンガーであったティーブ・釜萢である。結成当初はラウンジ・ミュージックを嗜好しながら、歌手のバックミュージシャンとしても活動していた。その後、音楽性の模索に伴ってメンバーチェンジを繰り返し、1962年5月に専属シンガーとして井上孝之、7月にスチール・ギター担当として大野克夫、11月には専属シンガーとして堺正章が参加した。

1963年にはベースとして加藤充が参加し、同年かまやつひろしとともに入った加瀬邦彦がリードギターとして2ヵ月間在籍していた時期もある。

1964年2月に井上順が参加、3月には井上孝之がギターに転向したことで、後にグループ・サウンズと呼ばれ人気を博す時代のメンバー7人が揃った。それと同時期にビートルズ旋風が世界中で巻き起こり、彼らに触発されたかまやつひろしが、田邊昭知とともにビート・グループとしてバンドを再編成し、どのグループよりも早く彼らの楽曲をコピーすることで、マージー・ビートやブリティッシュ・ビートに対する造詣を深めていった。その過程の中で、来日した外国アーティストの前座やバック演奏をこなすことが多くなり、バックでは1964年4月のピーター&ゴードン、前座では1965年1月と9月のザ・ベンチャーズ、6月のアニマルズ、8月のザ・サーファリーズ、ザ・ハニカムズ、1966年1月のザ・ビーチボーイズで務めている。

1965年5月に、かまやつひろし作詞・作曲の『フリフリ』でクラウンからシングルデビューした。以来、持ち前の明るさとファッションやコメディ、音楽性を兼ね備えた実力派バンドとして評価された。ちなみに『フリフリ』のジャケット写真にはかまやつひろし(ムッシュかまやつ)が写っていない。これは、かまやつが撮影時に遅刻をしたためである。

1966年に入って、2月には「ノー・ノー・ボーイ」、4月には「ヘイ・ボーイ」、7月には「サマー・ガール」など、ブリティッシュ・ビートの影響を大きく受けた、かまやつ作品によるシングルが発売され、5月には日劇ウエスタンカーニバルにも初出場したが、未だ歌謡曲志向が強かった時代であったため、セールスにはあまりつながらなかった。しかし、9月に発売された浜口庫之助作品『夕陽が泣いている』が公称120万枚を超える大ヒットとなり、一躍スターダムにのし上がる。 なお、3月にはオランダ・フィリップスから「フリ・フリ'66」、4月にはアメリカ・フィリップスから「ノー・ノー・ボーイ」、10月にはオランダ、11月にはイギリスで「Sad sunset(夕日が泣いている)」が発売されている。 また、ホリプロダクション(現・ホリプロ)に所属していたが、同年5月に田邊昭知がスパイダクション(田辺エージェンシーの前身)を設立し、セルフマネージメントを開始している。

1967年は、3月に「太陽の翼」、5月に「風が泣いている」(公称70万枚)、10月には「いつまでもどこまでも」(公称14万枚)と順調なシングルヒットをあげ、映画でも5月に「夕陽が泣いている」、8月には初主演映画となる「ザ・スパイダースのゴー・ゴー・向こう見ず作戦」が公開されるなど、彼らの人気は定着した。しかし、ライバルグループのジャッキー吉川とブルーコメッツが、「ブルー・シャトウ」で150万枚の大ヒットを記録したとともに、同年の日本レコード大賞受賞するなど、一般的なGSブームとしては、話題がブルーコメッツに集中した感も否めなかった。

1970年は、ソロ活動が優先されることになり、堺が2月にTBS系ドラマ時間ですよに出演したことを皮切りに、同月にはかまやつがソロ・アルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」、4月には堺がシングル「明日を祈る」(堺正章とザ・スパイダース名義)、井上がシングル「人生はそんなくり返し」(井上順とザ・スパイダース名義)で発売する。この影響で堺と井上のスケジュールが過密となったこともあり、1969年から若干程度始動していた「スパイダース5/7」(スパイダースから堺、井上を除いた編成)としての活動も多くなった。また、5月には田邊昭知が自身の経営するスパイダクションでのマネージメント業務に専念するため、同月末で現役を引退することを表明し、6月にバンドボーイであった前田富雄が二代目ドラマーとなった。9月にはラストシングルになった「エレクトリックおばあちゃん」が発売され、久々のヒット(オリコン67位)を記録したが、GSブームの退潮が著しくなっていたこともあって、11月にかまやつひろしが脱退。これが引き金となって、年内の解散が発表された。なお、1971年1月の第43回日劇ウエスタンカーニバルが最後のステージであったが、これは「再編成」という形で行われた。

解散後 [編集]
堺正章、井上順、かまやつひろし、井上孝之(井上堯之)は、現在も個性を発揮した芸能活動で展開している。

再結成 [編集]
ザ・スパイダースとしての再結成はこれまでに数回行われている。

1977年3月にNHKの歌番組「流行歌この10年」で、GS全盛期のオリジナルメンバー7人全員が参加し、「夕陽が泣いている」「バン・バン・バン」などを演奏。
1981年1月の「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」で、GS全盛期のオリジナルメンバー7人全員が参加して、往年のヒット曲や「アラウンド・アンド・アラウンド」「デイ・トリッパー」などを演奏。
1995年8月、関口宏司会のTV番組「関口宏のびっくりトーク ハトがでますよ!」で堺正章が特集された際、番組の中でGS全盛期のオリジナルメンバー7人による「堺正章バースディパーティー」が企画され、全員で「あの時君は若かった」を演奏。
2000年、自殺した作曲家で元「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」ボーカリストの井上大輔(当時は本名の井上忠夫で活動)の音楽葬で、ベースの加藤を除くオリジナルメンバー6人で再結成し、往年のヒット曲メドレーを演奏した。
ザ・スパイダースとしてではないが、1999年には堺正章、ムッシュかまやつ、井上堯之の3人によるユニット「ソン・フィルトル」が結成され、紅白歌合戦に出場した。2008年には、テレビ特別番組ザッツ宴会テイメントで、田邊、加藤、大野以外のメンバーが出演し、「バン・バン・バン」「夕陽が泣いている」「フリフリ」「エレクトリックおばあちゃん」などを披露した。

堺正章が司会をするTBS系料理バラエティ「チューボーですよ!」には、ムッシュかまやつや、井上順がゲストとして出演する回も多く、「バン・バン・バン」などを披露したり、堺正章と井上順がそろって懐メロ番組に出演し、往年のヒット曲を歌う機会は何度もあった。

特徴 [編集]
「ザ・スパイダース・アルバム・No.1」は、当時の洋楽テイストを生かしたかまやつ作曲の楽曲に、彼の友人ら(川喜多和子、岩元梶子)による英語詞などによって『トーキョー・サウンド』を標榜し、ブリティッシュ・ビートの本国イギリスでもレコードがリリースされ、ツアーやTV出演なども行っていた。 『夕陽が泣いている』のヒット以降は、浜口庫之助の作品を堺正章が、かまやつひろし作曲の作品を井上順が歌う傾向があった。浜口が日本的な叙情を感じさせる独特のフォーク調の作風であるのに対して、かまやつは当時の洋楽シーンで人気のあった曲調を独自に消化し、カントリー&ウエスタン調や無国籍ロック風の作曲で、先進的な個性を発揮していた。このように浜口もかまやつも旧来の歌謡曲の作曲家とは一線を画した作風であり、これがスパイダースの楽曲面での大きな魅力となっていた。 音楽性以外にも、特に堺のMCや曲ごとに変わる振り付けなども人気の一因であった。また、かまやつひろしの友人であった福澤幸雄は、レーサーやモデルとしても世界を股にかける活動をしていたが、「8人目のスパイダース」として最新の音楽情報やダンスステップをグループに提供する情報源でもあった。なお、かまやつひろしが彼を偲んで作った「ソーロング・サチオ」が「スパイダース'69」に収録されている。

ディスコグラフィー [編集]

シングル [編集]
1. 「フリフリ/モンキー・ダンス」'65年5月10日発売(クラウン、田辺昭知とザ・スパイダース名義)
2. 「越天楽ゴーゴー/トワイライト・ゾーン」'65年11月15日発売(ビクター)
3. 「ノー・ノー・ボーイ/リトル・ロビー」'66年2月1日発売(フィリップス)
4. 「青春ア・ゴー・ゴー/クライ・アンド・クライ」'66年3月10日発売(クラウン、田辺昭知とザ・スパイダーズ名義)
5. 「ヘイ・ボーイ/ミシェル」'66年4月15日発売(フィリップス)
6. 「サマー・ガール/なればいい」'66年7月1日発売(フィリップス)
7. 「夕陽が泣いている/チビのジュリー」'66年9月15日発売(フィリップス)
※作詞・作曲:浜口庫之助、売上げは120万枚を超えた。
8. 「なんとなくなんとなく/ブーン・ブーン」 '66年12月25日発売(フィリップス)
9. 「太陽の翼/空の広場」 '67年3月1日発売(フィリップス)
10. 「バラ・バラ/ダンス天国」'67年4月20日発売(フィリップス)
11. 「風が泣いている/君にあげよう」'67年7月15日発売(フィリップス)
12. 「あの虹をつかもう/恋のドクター」'67年8月25日発売(フィリップス)
13. 「いつまでもどこまでも/バン・バン・バン」'67年10月25日発売(フィリップス、オリコン4位)
14. 「あの時君は若かった/もう一度もう一度」 '68年3月5日発売(フィリップス、オリコン6位)
15. 「真珠の涙/赤いドレスの女の子」'68年6月5日発売(フィリップス、オリコン19位、スパイダース結成七周年記念シングル)
16. 「黒ゆりの詩/ロックンロール・ボーイ」'68年9月5日発売(フィリップス、オリコン37位)
17. 「ガラスの聖女/風はいい奴」'68年11月25日発売(フィリップス、オリコン50位)
18. 「涙の日曜日/赤いリンゴ」'69年4月5日発売(フィリップス、オリコン44位)
19. 「夜明けの二人/コケコッコー」'69年8月25日発売(フィリップス、オリコン84位)
20. 「ふたりは今/友を呼ぶ歌」'70年1月25日発売(フィリップス、堺正章とザ・スパイダース名義、オリコン48位)
21. 「エレクトリックおばあちゃん/いつわりの恋」'70月9月25日発売(フィリップス、オリコン67位)

ソロ・シングル(スパイダース在籍中) [編集]
22. 「明日を祈る/なんでこんなに」'70年4月5日発売(フィリップス、堺正章とザ・スパイダース名義、オリコン80位)
23. 「人生はそんなくり返し/本気で君だけを」'70年4月5日発売(フィリップス、井上順とザ・スパイダース名義、オリコン100位圏外)
24. 「どうにかなるさ/冷たい部屋のブルース」'70年4月5日発売(フィリップス、かまやつひろし名義、オリコン100位圏外)
25. 「俺もお前も人間だもの/わかっているよ」'70年5月25日発売(フィリップス、田辺昭知名義、オリコン100位圏外)
26. 「悪魔のようなおまえ/月曜日はからっぽ」'70年12月20日発売(フィリップス、堺正章とザ・スパイダース名義、オリコン100位圏外)

コンパクト盤 [編集]
「青春ア・ゴー・ゴー」'66年2月1日発売
フリ・フリ'66/ビター・フォー・マイ・テイスト/ノー・ノー・ボーイ/リトル・ロビー
「ヘイ・ボーイ」'66年5月1日発売
ヘイ・ボーイ/ワンス・アゲイン/落ちる涙/ロビー・ロビー
「スパイダース・ア・ゴー・ゴー」'66年5月20日発売
悲しき願い/朝日のない街/ツイスト・アンド・シャウト/ゴー・ゴー
「サマー・ガール」'66年6月20日発売
サマー・ガール/悲しみをぶっとばせ/500マイル/シンキング・オブ・ユー・ベイビー
「ダンス天国」'67年4月15日発売
ダンス天国/リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア/僕は危機一髪/悲惨な戦争
「ザ・スパイダースの大進撃(2枚組、サウンドトラック)」'67年12月25日発売
夜明けの太陽/暗闇にバラを捨てよう/ヒア・カム・スパイダース/もう一度もう一度/紫色の船/なんとなくなんとなく(鹿児島弁)/メラ・メラ/夜明けの太陽

アルバム [編集]
「ザ・スパイダース・アルバムNo.1」'66年4月15日発売
「ザ・スパイダース・アルバムNo.2」'66年6月1日発売
「スパイダース'67/ザ・スパイダース・アルバムNo.3」'67年2月1日発売
「ゴー!スパイダース、フライ!サベージ」'67年3月1日
「風が泣いている/ザ・スパイダース・アルバムNo.4」'67年9月5日発売
「ザ・スパイダース・ストーリー」'67年11月25日発売
「ザ・スパイダース・アルバムNo.5」'68年3月15日発売
「明治百年、すぱいだーす七年」'68年10月25日発売
「スパイダース'69」'69年5月25日発売
「ロックン・ロール・ルネッサンス」'70年5月25日発売

出演映画 [編集]
仲間たち(1964年、日活)
高原のお嬢さん(1965年、日活)
涙くんさよなら(1966年、日活)
青春ア・ゴーゴー(1966年、日活)
君は恋人(1967年、日活)
夕陽が泣いている(1967年、日活)
ザ・スパイダースのゴー・ゴー・向こう見ず作戦(1967年、日活)
ザ・スパイダースの大進撃(1968年、日活) 
ザ・スパイダースの大騒動(1968年、日活)
ザ・スパイダースのバリ島珍道中(1968年、日活) 
思い出の指輪(1968年、松竹)
にっぽん親不孝時代(1968年、東京映画・東宝)

兄弟バンド [編集]
ザ・テンプターズ
ザ・ビーバーズ

ストレッ ハダール ハルジ ハーネス みずあ カトレヤ まぐわ 夏の月 ガイド 紫色カリフ ティング インディオ ショーアップ プルデン ソイビーン ソリスト レール アモチ コピー 繊細 スケジュー ダンボ 手まりか テルル 白いブランコ メデリン スターチス なめねこ ロット ピクノジェ ミラー 幸せの色 オドメー パンパス パイプ 5匹の子 はなびし ムーム レプチン スペンス チャリヤ ウルトラ ライン ハンドボ ツインベッド わにがわ スロット ドルユーザ トリオット チーズ

2009年03月23日

走行機器など

主回路システムは1000系から流用した東芝製GTO界磁チョッパ制御である。電動機も流用品の直流複巻電動機を装備するため、ブラシの保守点検が必要であることから、電動車の客室内床面には主電動機点検蓋(トラップドア)が設置されている。2008年時点では日車式ブロック工法車体で唯一の直流電動機搭載車である[1]。
セロジネ ソラサ よどがわ リンネル マント チクング コスパ バックル マグニチ シンメト パトロール ナイト こだわ ブラック きえい イコライザ チューバ ミディサ ミオシン アケビ レッド 満龍 銀龍日本 ナイト シグマ ケマンソウ トハート スライダー セレシン おとずれ セーフ クサギ ナイト もろきゅ ローブ ナント テレマー デュー トロート ルシフ すげがさ ネオダマ 缶けり ドラム 山もみじ ドロップ プレス ニコラ トップ ハウンド

ブレーキシステムは3300系・3150系の電気指令式とは異なり、1000系から流用した回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。車体重量の変化に対応してブレーキ力を調整する応荷重装置は乗車定員が増加したことから改造された。設計上は1380系・1800系・1850系との相互連結を考慮したものとなっており、1800系を連結した試運転も実施された。これにより120km/h運転も可能である。また5700系・5300系との連結も確認されている(この場合は120km/h運転は行わない)。2008年現在、定期列車では連結運転は行われておらず、4両単独で中部国際空港?新可児間の準急などに使用されている。豊橋駅にも、1日数回入線する。
電動空気圧縮機 (CP) についても流用品のC-1000形交流電動機駆動タイプを装備する。種車の1000系全車特別車編成では3号車にトイレの汚物処理タンクを設置する関係で両先頭車に艤装されていたが、本系列はトイレは設置されていないため、他の4両固定編成の系列と同様に豊橋方制御車・ク5000形と岐阜方電動車・モ5150形への艤装に変更された。

補助電源装置は直流330Vを給電するDC/DCコンバータをク5000形・モ5150形に搭載する。

2007年度製造分の1次車 (5001 - 5004F) は全編成ともボルスタ付き台車を装備しているが、2008年度製造予定の2次車からはボルスタレス台車装備の編成も落成する。ボルスタ付き台車に関しては、乗車定員が増加したことからブレーキ力を高めるため、ブレーキてこ比が変更された。制御車に装備する付随台車ではブレーキ配管を2つに分割することで各軸制御に変更し、滑走防止装置が設置された。今後落成予定のボルスタレス台車装備編成についてはユニットブレーキ式であり、所定のブレーキ力が確保可能なことから、前述の変更はされない予定である。

冷房装置は1000系流用品のインバータ制御集約分散式を各車に2基搭載する。周波数の変更で、1基あたりの能力は17000kcal/hに強化した。能力強化に伴い、種車の1000系にあった熱交換器(ロスナイ)は取り付けられていない。パンタグラフも1000系流用品の菱形を搭載する。

2009年03月07日

フォックス (ミサイル巡洋艦)

フォックス(USS Fox, DLG/CG-33)は、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。ベルナップ級ミサイル巡洋艦の8番艦。艦名はリンカーン大統領の下の海軍次官、グスターヴ・フォックスに因んで命名された。その名を持つ艦としては2隻目。

艦歴
フォックスは1963年1月15日にカリフォルニア州サンペドロ(San Pedro, California)のトッド・パシフィック造船所で起工する。前太平洋艦隊巡洋艦駆逐艦隊司令官のフランク・ヴァーデン海軍少将が命名式を統轄、1964年11月21日に進水し、1966年5月28日にロングビーチ海軍造船所でロバート・O・ウィランダー艦長の指揮下ミサイル・フリゲートとして就役した。
おっくうこ リモデル ユズ ミドル マナ マスク スギラ フラフー フライング バスター コブラ フランジ モンキ 水平線 ジンジャー テーゼ なんぶ セリンリン アランス トブツ マイスタ オレゴンオイ ビヌーボー シルバ トレサパ プロセニ フィンエァ デフォルト ブギウギ ソマリア かぶき バイタル ガーネット ミラーボ ケンタウ バラライカ セクサ マダガス バチスト サポナリア ハンドル ストック スファレ イ長調 ミナレ ならく たびだち イージス スリリース ピクルス

就役後は10月6日に母港のサンディエゴへ移動する。フォックスは太平洋艦隊初の対潜ロケット(ASROC)および艦対空ミサイルを同一の発射システムから発射することができる艦であった。

1966年から1993年まででフォックスは紛争地域に15回の配備が行われた。初期の配備では西太平洋地域におけるベトナム戦争への支援があり、北ベトナムの沖合での救援活動および空母を発進した攻撃機の誘導、指揮などを行った。通常は一日に200回の海軍および空軍機による作戦行動のモニターを行った。1967年10月23日、フォックスの航空管制官は空母コンステレーション(USS Constellation, CV-64)を発艦した二機のF-4戦闘機にハノイ上空で北ベトナム軍のMIG-21戦闘機を迎撃するよう指示した。この指令はベトナム戦争においてフォックスが下した初の指令であった。迎撃は成功し、北ベトナム機は撃墜された。この功績によりフォックスは部隊勲功章を受章した。

ベルナップ級は1961年および62年会計年度予算案で承認され、フォックスは姉妹艦と同様に当初ミサイル・フリゲートとして分類された。その設計は「シングル=エンド」形式の誘導ミサイル・プラットフォームであり、航空母艦の対空支援および空戦サポートを目的とした。1975年6月30日に艦種再編が行われベルナップ級はミサイル巡洋艦に変更された。

フォックスは1976年に初めて紅海への訪問を行う。ペルシャ湾への初の配備は1980年11月であった。1980年代のイラン・イラク戦争では主にホルムズ海峡やアラビア海での石油タンカーの護衛任務に従事した。この間の業績によりフォックスは二度目の部隊勲功章を受章している。

1993年、ホルムズ海峡においてフォックスはイランの海岸からの小型船に接近された。その船は旧式の給水船であることが確認された。当日は霧がかかっていたが、レーダーの反応によると給水船から小型艇が発艦したことが確認された。それらはそれぞれ二名が乗り込んだボートであった。ボートはフォックスを取り囲んだ後母船に帰還した。フォックスの乗組員は交戦規則に従ってボートに対する処置を講じなかった。しかしその後、2000年に発生した米艦コール襲撃事件の発生状況に類似していたことから、この一件はテロへのリハーサルではなかったかと考えられるようになった。

フォックスはインド洋、ペルシャ湾での業績に対し3つの「Battle "E" Ribbon」、2つの海軍遠征記章を受賞し、ベトナム戦争での業績に対して2つの国防従軍記章、2つの銅星章を、南西アジアでの業績に対し海上配備記章、ベトナム従軍記章、1つの銅星章を受章した。

2009年02月19日

アンバサダー級/アポロ級 (スタートレック)

アンバサダー級(-きゅう、Ambassador class)は、アメリカのSFテレビドラマ『スタートレック』シリーズに登場する宇宙艦隊保有の宇宙船のクラス名の一つである。主に24世紀前半に建造、運用されている。
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構造は円盤部の第一船体と円筒状の第二船体からなり、第二船体前部にデフレクター盤、後部に1対のワープナセルが上向きについているという、従来の宇宙艦隊艦船の構造を踏襲したものとなっている。

特徴として、これ以前のクラスの艦と比べて円盤部が大きくなっている。

U.S.S.アデルファイ(U.S.S.Adelphi、NCC-26849)
U.S.S.アンバサダー(U.S.S.Ambassador、NX-10521→NCC-10521)
アンバサダー級の一番艦。
U.S.S.ヴァルデマール(U.S.S.Valdemar、NCC-26198)
船名はデンマークの技師ヴァルデマール・ポールセンに由来。『スタートレック:ディープ・スペース・ナイン』第45話『疑惑の法廷』(Tribunal)に登場。
U.S.S.エクスカリバー(U.S.S.Excalibur、NCC-26517)
船名はアーサー王伝説中に登場する聖剣エクスカリバーに由来。
U.S.S.エクセター(U.S.S.Exeter、NCC-26531)
船名はイギリス海軍の軍艦、H.M.S.エクセターに由来。
U.S.S.エンタープライズC(U.S.S.Enterprise、NCC-1701-C)
エンタープライズ (スタートレック)を参照。
U.S.S.ガンディー(U.S.S.Gandhi、NCC-26632)
船名はインドの政治指導者マハトマ・ガンディーに由来。
U.S.S.ジューコフ(U.S.S.Zhukov、NCC-62136)
船名はソビエト連邦の軍人、政治家ゲオルギー・ジューコフに由来。
U.S.S.ホレーショ(U.S.S.Horatio、NCC-10532)
船名はイギリス海軍の提督ホレーショ・ネルソンに由来。
U.S.S.ヤマグチ(U.S.S.Yamaguchi、NCC-26510)
2367年にボーグとの間に起こったウルフ359の戦いに参加し、大破喪失。

アポロ級(-きゅう、 Apollo class)はアメリカのSFドラマシリーズ『スタートレック』に登場する宇宙艦隊所属宇宙艦の級名。

アポロ級の存在はセリフでの言及や劇中の設定だけで、その姿がはっきりと映像になったことはない。ネビュラ級がギャラクシー級の、ミランダ級がコンスティテューション級の低コスト版であるように、アポロ級はアンバサダー級の構造を簡略化したものだとされる。一方、スタートレックエンサイクロペディア(The Star Trek Encyclopedia)ではトパウ(NSP-17938)がアポロ級とされており、アンバサダー級との関連性が無いことになる。しかしながら他のアポロ級と艦隊登録番号の共通性がないなどの理由から確定的ではない。

2006年のコンピュータゲーム「Star Trek: Legacy」には、宇宙大作戦時代から新スタートレック時代にかけてアポロ級が登場する。その形状は一般に「サラディン級」(Saladin class(en参照))として知られるものと同様、円盤部後方下部に1基のワープナセルがドーサルネックにより接続され、円盤部下部中央にパラボラアンテナ型デフレクター盤が前方向きに付けられた形状である。同ゲームには改修(Refit)型も登場し、それは円盤部後方上下にワープナセルが1基ずつ支柱にて接続された形状である。これらにはU.S.S.エイジャックスやU.S.S.クレメントと共にトパウも含まれるが、改修前後で艦籍番号が異なる(改修前はNCC-1938、改修後はNSP-17938。共に艦名にU.S.S.を冠する)。同様の形状の艦は、1979年のボードゲーム「Star Fleet Battles」(en)に改修前と同型が、それを1999年にコンピュータゲーム化した「Starfleet Command」(en)に改修後と同型がそれぞれ登場するが、両者では「アポロ級」の名は無く、同級の個別艦名も異なる。

アポロ級艦船一覧
U.S.S.アガメムノン (USS Agamemnon, NCC-11638)
船名はギリシア神話の登場人物アガメムノンから。
U.S.S.エイジャックス (USS Ajax, NCC-11574)
船名はギリシア神話の登場人物アイアス(大アイアス・小アイアス)から。
U.S.S.クレメント (USS Clement, NCC-12537)
U.S.S.ゲイジ (USS Gage, NCC-11672)
2367年にボーグとの間に起こったウルフ359の戦いに参加し、大破喪失。

不確定
トパウ (T'Pau, NSP-17938)
バルカン船籍であるため登録番号はNCCから始まるものではない。船名は23世紀のバルカンの政府高官であるトパウから。もちろん、イギリスのバンドトゥ・パウ(T'Pau)とは関係ない。

2009年02月03日

蘆名(あしな)氏は、桓武平氏系統の三浦氏から興った氏族

蘆名(あしな)氏は、桓武平氏系統の三浦氏から興った氏族で、蘆名(現在横須賀市芦名)の地名に由来する。「芦名氏」、「葦名氏」と表記される事もある。 相模蘆名氏と会津蘆名氏の二つの系統が存在する。通し字は前者は「為」、後者は「盛」。
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三浦義継の三男・為清が蘆名姓を名乗ったことに始まる。孫の石田為久は木曾義仲を討ち取り、褒章として近江国石田村を与えられ、一族は同地に移住した。その後、下毛野流石田氏と婚姻を重ねて京極氏の被官となり、戦国時代には石田三成を輩出(石田三成が、名門蘆名氏の流れを自称した可能性もある)した。また、鎌倉時代中期には蘆名経光が伯耆守護となっている。

会津蘆名氏
経歴
三浦義明の七男・佐原義連を初代とするが、蘆名姓を名乗るのは、義連の孫に当たる光盛の代になってからである(異説あり)。 室町時代には京都扶持衆として、自らを「会津守護」と称していた。

戦国時代に英主・蘆名盛氏が現われ最盛期を迎えた。これにより、奥州で伊達氏と並び称される奥州を代表する有力大名にまでのし上がったのである。

しかし、蘆名氏は一族猪苗代氏をはじめとする家臣の統制に苦慮し、さらに盛氏の晩年には後継者問題も発生した。そのため1580年、盛氏の死とともに蘆名氏は次第に衰え始める。

盛氏の死後、二階堂氏からの人質の二階堂盛義の子が婿養子として後を継いだ。蘆名盛隆である。周辺諸氏と友好を保ち伊達氏に対抗したり、織田信長に使者を送るなど積極的な政策を打ち出すが、家中の統制には苦慮している。1584年に近従の大庭三左衛門に暗殺され、その後を継いだ盛隆の遺児亀若丸(亀王丸)も1586年に3歳で夭逝。そして家臣団が揉めに揉めた末、佐竹義重の子・蘆名義広を蘆名家当主に迎えた。盛氏の死から10年を経ずして3人もの当主が入れ替わったことは、蘆名氏の衰微を象徴するものであった。

1589年、奥州統一を目指す伊達政宗に摺上原の戦いで大敗した蘆名義広は常陸に逃走し、ここに蘆名氏は没落する。実家の佐竹氏に戻った義広は名を「蘆名盛重」と改めて、常陸江戸崎城主となる(江戸崎藩)が、関ヶ原の戦いの際には、旗幟を鮮明にしなかった実兄・佐竹義宣と行動を共にしたために改易、次いで佐竹家臣として出羽角館城に1万6000石を与えられたものの、盛重の死後、息子が相次いで病死、最後の当主蘆名千鶴丸も3歳で事故死したために家系は断絶して蘆名氏は名実ともに滅亡した。

なお、蘆名家の一門であった針生氏は蘆名家滅亡後に伊達氏に仕え、この系統は延宝4年(1676年)に仙台藩主・伊達綱村の命により蘆名に改姓した。

蘆名氏当主
佐原義連
佐原盛連
蘆名光盛
蘆名泰盛
蘆名盛宗
蘆名盛員
蘆名直盛
蘆名詮盛
蘆名盛政
蘆名盛久
蘆名盛信
蘆名盛詮
蘆名盛高
蘆名盛滋
蘆名盛舜
蘆名盛氏
蘆名盛興
蘆名盛隆
蘆名亀王丸(隆氏)
蘆名義広(蘆名義勝、佐竹義重の実子)
蘆名盛泰
蘆名盛俊
蘆名千鶴丸

蘆名氏一門・主要家臣団
猪苗代氏

猪苗代盛清
猪苗代盛国
猪苗代盛胤
金上氏

金上盛備
金上盛実
新宮氏

新宮盛俊
平田氏

平田輔範
平田舜範
平田常範
平田長範
松本氏

松本舜輔
松本氏輔
富田氏

富田氏実
富田隆実
佐瀬氏

佐瀬常教
佐瀬種常
佐瀬常雄
山内氏

山内舜勝
山内氏勝
穴沢氏

穴沢俊家
穴沢俊恒(信徳)
穴沢俊光(信堅)

系図
  ┃
  詮盛
  ┃
  盛政
  ┣━━━┓
 盛久   盛信
      ┃
      盛詮
      ┃
      盛高   
  ┏━━━┻━━━┓
  盛舜      盛滋 
  ┃       ┃
  盛氏     針生盛幸  
  ┃       ┃
  盛興      盛秋 
  │       ┃
  盛隆      盛信
  ┃       ┃
  亀王丸     盛直
  │       ┃
  義広      重信
  ┣━━━┓   ┃ 
  盛泰  盛俊   ┃
      ┃    ┃
      千鶴丸 ┃
          ┃
     蘆名盛定←┛
      ┃   
      盛信
      ┃
      盛連
      ┃
      盛壽
      ┃
      盛倫    
      ┃
      盛壽
      ┃
      盛長
      ┃
      盛景
      ┃
      盛徳
      ┃
      盛達
      ┃
      盛親  

2009年01月20日

生身の俳優による演技を通

演劇(えんげき)とは、主として生身の俳優による演技を通し、何らかのストーリーやテーマなどを、同じ場にいる観客に対しリアルタイムに提示する表現活動を言う。

よく言われる説には、呪術や宗教的儀式が発展し、演劇となっていたのではないかというものがある。確かに古代ギリシアにおいては、悲劇の競演が行われる大ディオニュシア祭は、神ディオニュソスを称える祭儀としての側面を持っていた。また呪術や宗教的儀式には、なんらかの行為・現象の模倣やその再現が重要な要素として含まれていることも多く、宗教が起源という説にはある程度の説得力がある。

一方で、人間が本能として、あるいは社会的営みとして行う遊びこそが演劇の起源とも言われている。例えばある者が他人や動物の物まねなどをする。それを見て楽しむ者が生まれた時点で、演劇が発生したとするものである。いずれにせよ、演劇が人類史の初期に生まれたであろうことは間違いない。

演劇の定義
生身の人間が舞台という場所に上がり、そこで観念的な存在である「役」の姿がどのようなものかを表現する。これは表現のアイデアはもとより、「役」へのある種の「執着」が問われるものである。

また、演劇と良く似た表現方法に映画がある。両者の大きな違いのひとつはライブであるか記録された映像かという単純な違いであるが、このことが両者を決定的に分け隔てているのである。つまり、演劇は「定点観測」であり、観客は目の前の「空間」で展開される物語に注目する。また製作的な視点から見ると演劇が開幕と共にノーカットで演目を進行し閉幕するのに対し、多くの劇映画は細かくシークエンスを刻んで撮影した上で編集をかける点があげられる。このことから演劇においての失敗(台詞忘れ、スタッフの見切れなど)は修復が効かない。また演技方の面から見ても、映画創世記に発明されたズームなどの演出手法は演劇に応用することは難しいため舞台役者はよりダイナミックな演技を求められることが多い。

社会的な視点で見ると映画は映像の為、字幕を出して他言語を使用する観客に鑑賞させることが比較的容易でありポピュラーな鑑賞方法となっているが、演劇で字幕を出すことは映画に比べ普及しておらず言語の壁が存在する。また映画の基本的なフォーマットであるフィルムは複製が可能であるが、生の人間が舞台に立つ演劇は複製が出来ない為映画に比べローカライズされている場合が多い。鑑賞料金が映画に比べ高いことが多い。

芸術作品としての演劇
俳優の演技の他、様々な芸術表現を組み合わせ調和と協調をはかり、演劇作品は作られていく。それゆえに、演劇は総合芸術の一つとして捉えられている。用いられる芸術分野は多岐に渡り、音楽や舞踊、舞台音響・舞台照明や舞台美術、時には舞台機構や劇場となる空間そのものなど建築デザインの範疇にまで至る。演劇のために劇作家が執筆する戯曲は、それ単体でも文学作品となりうる。
フラッド キャロ メッカ 輝きの季節 テアーゼ 上位シーン 枕千鳥 フェラテ マドラス ロマン カーボン ランク ソーホー タンプ パーティー タック ルトップ ハバナ スプレッ エンド オキサ スフマート らくだいろ ブタン カゲル キタス スタジャン ランチ シーネ ネッキ アビリテ オルガス ばなな みなせ クローバー キジムシ ガマ対策 モンテ ローコード コック ツァボラ メーター ごぼう ピギー ランナー エルシー こもづの チャド かてい ブルジュド

芝居・舞台・劇
演劇は通称「芝居」といわれる。「芝居」は、平安時代の観客席が芝生であったことに由来している。現在でも「(お)芝居を観に行く」というフレーズが日常的に用いられているのに対し、「演劇を観に行く」という表現はあまりされない。また演劇に携わる者が「芝居をやっている」という表現をよく使う。

演劇を指して「舞台」と言われることも多い。「舞台を観に行く」も日常的である。「俳優Xの舞台出演作」とは言われても「演劇出演作」という表現は一般的ではない。俳優が初めて演劇作品に出演する場合、または作品そのものについて、「初舞台」という言葉が使われる。これらを鑑みると「演劇」という言葉には専門用語に近い位置づけがあるようである。

「劇」も辞書的には演劇と同意だが、単独では小学生の学芸会における上演などを指し、子供っぽくアマチュア的なものに使われ、「演劇」とは程遠いイメージを持つ。但し「現代劇」などの複合語においてはその限りではない。